英語教育の目的の変遷
明治時代のある書物に、当時の日本の学生の様子が書かれています。
・・・ひとりが「私は明日父に会いにロンドンへ行く」と言うと、もうひとりがそれをドイツ語に訳して言う。
このようにして彼等の部屋からは日本語、ドイツ語、英語がこんがらかって聞こえ、ときどきフランス語で何か言い、まちがえるといい気持そうな笑い声を立てる。
彼等の英語は実にしっかりしていて、私には全部判る。
英国人がラテン語を学ぶのとはちがい、英語と日本語の間には東西思想の隔絶という深淵がある。
それを乗り越えていった明治の英語教育は再認識されなければなるまい」。
・・・英語教育の目的は、個人的なものと、国家的目的または学校の目的との、2通りに分けて考えることができます。
つまり、英語教育を受ける方と授ける方の2つに分れるのです。
ソファー 通販で取り扱おうとするのは、主として、英語教育を授ける方はどういう目的で授けてきたのかということになります。
個人的な目的個人的目的の方は千差万別で、たとえば福沢諭吉の場合、洋学を志した動機は、日本を救おうというような大きなものではなく、何か難しいことをやりたいと思って蘭学を始め、やがて英学の方に転向していったということです。
卑近な例で、私の友人に心理学の教師がいます。
今では、心理学をやるために生れてきたように思われますが、大学で何を専攻するかを決めるとき、箸をころがして決めたといいます。
きわめて偶然のチャンスによって、その方向に進むことになったわけです。
人は何でも出来るわけですが、このように、何かのきっかけで自分の方向が決ることは、よくあることです。
個人的理由というのは、余りあてにならないように思われます。
英学の始まりそこで英語教育を授ける方、つまり国家的な目的がどのように変遷したかが一番問題になるのです。